facebook

基本説明

誰が、どのような理由から、
このような企画を計画したのか

ビートルズプロジェクト
今回の「ザ・ビートルズの再評価」を巡る一連の活動は、直接、音楽界とは関わりのない金融投資ビジネスでの革新的AI機能の開発の課程で、補足的に生じた興味から生じた偶然の所産であり、しかし、結果的にはロックおよびポップス界での意表を衝く創造的な活動へと導くものに変化することになる。
我々のビジネスは、かってもいまも、音楽界との接点はなく、ひとつだけ「オペラ界」の定期的な資金援助者としての活動があるにせよ、あくまでも好意的パロロネージに留まるものだったので、今回のようなプロジェクト(ザ・ビートルズ・プロジェクト)のような形での参画は、すべて予定外の出来事である。
順序だって話せば、世界言語の同時的(リアルタイム)翻訳トランスフォーメーション機能のアルゴリズム開発の課程で、文章や会話での便宜を図るだけでなく、音楽の楽譜と歌詞の自動的変換機能を実現するためのプラグラムを組んでいるなかで、各国ごとの言語差が音符表現に」与える影響度が大きく、たとえばフランス語でのシャンソンをイスパニア語に「最も適合する翻訳言語」に移し替えるには、単なる対訳以上の、文化的思考や感情的趣向の微妙なニュアンス差にまで踏み込んだ特異なアルゴリズムの構築が求められることとなり、数学的分野での多項式(代数)を構造化する群理論および環・体論理までを巻き込んだ、広い意味での位相次元多様体モデルのような、超高度セオリー・レベルに引き上げざるを得なくなり、いまだ数学界でも未知領域の難題を解き明かす必要も生まれてきた。
したがって、単純な対訳レベルでの異言語間翻訳だけでは収まることのできない現実(リアリティ)との接点を求める試行的教材として、具体的な楽曲と歌詞のサンプルを探すこととなり、最もポピュラーでかつ翻訳上の難解な対象を探した結果、一九六〇年代、世界中を席巻した「ザ・ビートルズ」の全作品二二〇篇を選択することになった次第である。
彼ら若い二〇代の若者たちが活躍した終えた一九七〇年以降も、彼らを凌駕するに足りる天分のポップス・グループは存在せず、逆に現在、著しいまでに低下したロック、ポップミュージック界を逆説的に救済できるのは彼ら「ザ・ビートルズ」しかないとの結論に達し、徹底的な情報収集、活動過程、楽曲間における優劣差とその要因分析等々を、イギリス・ロンドンに拠点を置き、七〇名余の専門家・スタッフを世界中から招聘して四か月間、(文字通り)蟻の隙間もないくらいの緻密な範囲で分析すると共に、私の国籍である「日本語への翻訳」を直訳でも対訳でもなく、まったく斬新な創造的手法による「オリジナル作詞」を対比させることで、最も複雑で、不可能に近いビートルズ歌詞の日本語化を諮ることにしたのだった。
何をおいても留意すべきは水準と時代性の感性であり、かつて一九六〇年代でビートルズの楽曲が占めていた音楽的水準に匹敵する二〇二一年(世界的コロナ禍)時点での、圧倒的な現代性を具えた天才的作詞が必要であり、ビートルズの音楽が「ひとつの頂点」であるなら、ここで我々が提示する作詞それ自体も世界レベルに匹敵する頂点である必要がある。かつて五〇年前に天才的精彩を放ち、五〇年後のいまなお対置しえる楽曲も見当たらないほどの名作群に対応できる質の創造的作詞であると共に、その作詞された詩の数も現代日本でのロック・ポップス界では未曾有の秀作群であることも要求されることになる。
幸いにして、我々の世界的規模での金融投機機関では、その情報収集のスケールと密度でも国家機密情報セクションに互角する規模とレベルを有しているので、適任者への探索と獲得も迅速に行われ「日向あかり」の作品群を提示することが可能となる。 ただし、女性名の彼女が「匿名」であること、いかなる探索でも発見不可能な存在として我々が隠匿しているがゆえに、無益な労力はお控えください。
さて、ビートルズ・ソングを英語圏以外の言語で歌うことの至難さこそ、過去五〇年間、どこの国でも不可能であり、その不可能性の真の意味を確実に把握できていた音楽界の人物も、一人も存在しない。
しかし、今回、我々のような音楽の門外漢の視点から「ビートルズの楽曲を二〇二一年の日本」(ちょうど、いま、この文章を記しているとき、東京オリンピックが開催されており、日本が世界に開かれている時期にも符合する。
日向あかりの作詞は、文学上の「現代詩」に最先端の技量を存分に発揮し、大衆音楽界では想像さえ「しえなかったはずの」発想力、豊富というよりも多彩なまでの比喩的メタファの表象力、歌詞に表現された現代性、若年層若者たちの秘めた無意識の欲望である性およびセックスへのダイレクトな呼びかけなど、あまりにも虚構的、陳腐な愛や恋や希望への常套句(クリーシェ)に毒された歌詞の多くとの絶対的な違いを表現したものでもある。簡単に言えば、現代日本での、とりわけ「J・pops」といわれる歌の歌詞の、そのあまりにも貧しい語彙ボキャブラリーや詩作レベルの低さへの批判的意味での問題提起をも兼ねた作品に仕上がっている。
同時に、最も注目すべきは、その作品の数であり、わずか四が月間足らずの期間で、ビートルズ関連の作詞一二〇篇、時代的なオールデイの関連で三〇篇が創られ、本ページが開示されるころには、ゆうに倍数を越える作品群となっているはずである。
ビートルズも最も質量の豊富なミュージシャンだったが、そのビートルズを現代化しようとすれば、その質量でも互角となる作品を創造する必要であることは当然だと言えよう。
すべてが完璧であり、最高であること。 ― それはスポンサーである我々自身のビジネス理念でもあり、片手間のような「ザ・ビートルズ・プロジェクト」においても、やがては、日本語としての歌詞が、高度なAI機能による相互翻訳プログラムに乗せ、英語版および世界各国の言語で歌われる、その国独特の歌詞が、やがては世界中に浸透することも視野に入れてのプロジェクトでもあることを、ご理解いただきたいと存じます。

我々は当初、今回の「ビートルズ・プロジェクト」をそれなりの投資事業として計画し、スタジオ機能をニューヨークに構え、総額五億五千ドル(日本円換算・六〇〇億円)を用意し、いくつかの既存企業を買収統合し、広く一九五五年から二〇一〇年までのすべての「非クラシック音楽分野での楽曲、作詞再編成プラン」を考えたのだが、この際は巨億資本による事業投資ではなく、逆に最もマイナーなプライベート・レベルでの非営利的愛好サークルの理念に徹し、自由で、誰にでも参画できる「SNS時代」での音楽としての実験へと切り替えることにし、現・ロンドンでの研究組織では引き続き「ビートルズ・プロジェクト」の継続と、(特に)七〇年代以降でのビートルズの影響やその他のミュージシャンによる音楽活動の変遷も、併せて研究、分析することにしたのである。
たしかに総額五億五千ドルは現状のように衰退化しはじめている音楽業界の再編成には十分な資金規模だが、我々の平均事業投資六〇〇億ドル(六兆円)に較べれば、あまりにも小規模でもあり、その割に煩雑なマネジメントも要求されるので、企画を解消するのには何も抵抗もなかった。今回はじめて世界の音楽業界における資本対利益回収率の高率試算を分析したのだったが、もはや音楽制作とその具体的商品である「CD」あるいは{DVD}等の市場性に未来はなく、周辺的音響機器市場もまた極度の縮小化に見舞われており、さらに「コロナ禍」の規制によるコンサートはライブ活動の停滞も自己資金の徒簿pしい弱小事業群では存続の危機さえ生じていた。
仮に、ここで我々が五億ドル余の資金を投じて市場再編化を図ったとしても、恣意的かつ異様なまでに複雑に混線化した「著作権利関係」の法的整理を調整するだけでも、実に非効率な煩雑を引き受けなければならないことも分かってくる。したがって、音楽業界のビジネス・マネジメントそれ自体が、二一世紀型ビジネス・モデルからは逸れた市場不適応業界ともいえるのだ。
大規模投機ビジネスの観点から判断するかぎり、イエス・ノーの基準的判断は、一気に五億~七億ドルの投資か、それとも一〇万ドルのホームページ作成か―という合理的判断に絞られることになる。
したがって(日向あかりからの要請もあり)、非資本レベルの非営利的音楽サークルであり、かつ発信地そのものも日本では中都市に位置する名古屋市郊外の僻地からの問題提起へと切り替えたのである。
この発想自身も(我々のような大規模資本投資組織から見ると)意表を衝く創造的発想であり、むしろ大都市・東京での音楽発信に偏在した日本での現況に対するユニークな意味ではないかと思う。
ひとりの作詞家が、一〇年間及ぶ音楽活動での作詞に比例する作詞を手掛け、同時代でのウルトラ・ヒットソングへの目配りも欠かさず、「作詞による音楽の新しい表現性」を提起するプロジェクトこそ、今回のすべてのコンセプトを象徴する企画でもあると考えるところである。実にマイナーだが、その創造的可能性では、二〇二〇年代の音楽界にとっての不可避な改革へと繋がる、いわば「尖端的な導火線」であるとも確信するものである。
なお、今回紹介する「ビートルズを含むすべての作品」については、まず、最初に作詞があり、その作詞に適合する楽曲を選択し、そのうえで、いくつかの修正を重ねたあとで、直接試験的な意味での演奏と歌唱のテストを繰り返したものである。
逆説的に言えば、「いかにビートルズを日本語で歌いこなすのが困難であるか」についての実証実験であり、その点で、我々は単に歌詞を提起するだけでなく、「この企画が思いつきでなくて、本格的な実験」を繰り返したうえでの企画であることにもご注目いただきたい。
音楽的素養に乏しいカラオケ愛好家レベルの人々から、セミプロとしてクラブやライブの舞台で演奏活動を行っている方たち、さらに本格的な音楽を学んだオペラ歌手までを起用し、ロンドンと名古屋での実証実験を繰り返しながら、今回のプロジェクトに対する準備を重ねてきたのである。
何が、どのように困難であったかの音楽的な専門課題には触れないが、音符が読めず耳だけで感知するアマチュアでも、完璧に音符を解読できるプロ級の歌手にしても、共通してビートルズへの適合では完敗の有様だった。
その点で、一九五〇年~六〇年代に活躍した別の人気楽曲に関しても、比較的に上手く適合することが多く、そのサンプルの意味で、ビートルズの楽曲と併せ、他の歌手たちの楽曲と作詞を紹介したいと思う。
二〇二一年八月
バロン・H・ヤマモト・スタンレー